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   「ドブ川のころ」


吉田誠一さん

「昔はそのへんのドブ川にだって、メダカが群れてたもんだ」
 よくそんな話を聞く。
 確かにそうだった。高度成長期の頃、下水設備もまだ整わないうち、原っぱには次々新しい建物が建ち、風呂は石炭からガスに、汲み取り便所は水洗トイレにと、人々の暮らしは急激に変わっていった。そうして世の中が便利に、おしゃれになるほど、自然はどんどん汚れていった。
 小川に映る空は晴れた日でも曇り空のような色だったし、水面にはどろどろしたあぶくや、虹色の油膜が浮かんでいたりした。それでも生き物たちの姿はあたりまえに見ることができた。
 メダカ、クチボソ、ドジョウ、フナ、ザリガニ、カエル、オタマジャクシ、ゲンゴロウ、マツモムシ、ミズスマシ……。のぞきこむ子どもたちを、いつもわくわくさせてくれた。
 ドブ川に群れていた生き物たち……、今思えば、あれは末期の姿だったのかもしれない。河口に行けばいくらでも釣れたハゼも、ブツブツ赤い腫れ物ができていたり、体がくの字に曲がってしまったりして、釣っても持ち帰るのがためらわれた。
 昭和も半ばを過ぎたころ、故郷はドブ川だらけだった。でも、生き物たちは最初からドブ川に住んでいたわけじゃない。ドブ川になったから消えていったのだ。
 あれから半世紀近く経った今、環境整備が進み、水は少しずつ甦ってきたようだ。でも、気づけば、メダカもクチボソも絶滅危惧種になってしまった。東京ではゲンゴロウが姿を消したという。

「昔はそのへんのドブ川にだって、メダカが群れてたもんだ」
 あの頃、みんなそれが普通だと思っていた。




   「水の国日本」


ゆみこさん

 もう43年も前、初めてアメリカに行った時、ホームステイ先の家族とよく外食に出かけたが、どの店でも水が出てくることはなかった。
 どんな小さな喫茶店であっても、高級なレストランであっても水がまずテーブルに置かれるのが当たり前の日本。しかし大国アメリカでは、ただで水が提供されることはなかった。これは大きなカルチャーショックだった。当時日本は高度成長期の直中で、大阪では万博が開催されていた年だった。アメリカは世界一の国力を持った国。その国が水も提供しないなんて。私には摩訶不思議で何ともギャップを感じたものだが、当のアメリカ人らは平気。ハンバーガーやタコスを頬張り、コーラが水代わりなのだった。
 誰もがコーラやコーヒーをがぶがぶ飲んでいた。取り立てて水を好んで飲むお国柄ではないようだった。喉が乾けばアイスクリーム、というお国柄だ。何しろ家の中に、日本の店に置いてあるのと同じアイスクリームケースがあって、どっさりアイスが入っていたのには驚いた。
 その後もアメリカに数回行ったが、やはり店で水が出される事はなかった。水を飲む文化は、きれいな水に恵まれた山国日本ならではの文化なのかもしれない。
 今は世界中にペットボトルが普及し、人々は健康のためにも水を飲む機会が増えたようだ。サイパンに行ったのは25年前だが、その時スーパーで見慣れたものが目に飛び込んできて驚いた。山積みされた2リットルのペットボトルは「六甲の水」。六甲山を毎日眺めている私は、サイパンに来てまで六甲に出会えたことに感動したものだ。日本の水が売られているうれしさ。日本の水のおいしさは、世界中に知れているとは聞いていたが、実際その証拠を目撃し、日本人としてこんな誇らしいことはなかった。帰国していい土産話になったことはいうまでもない。




   「春を呼ぶ水」


たきなつさん

 あたたかい春が来て、山に積もった雪が解け始める季節がやってきました。この雪解け水というのは、ミネラルが豊富なため身体にとても良いとされ、人間を含む動物たちに古来より親しまれてきました。
 しかし、時代が進むにつれて雪解け水を手にすることは難しくなってきました。特に都会では、環境の悪化による地下水の汚染が目立っており、水道水は浄化のための塩素を含むためとても飲める水とは言えません。最近は特に、放射能の影響もあるためミネラルウォーターを購入する人が増えているそうです。
 ミネラルウォーターは農林水産省のガイドラインによると4種類に分けられています。1つめは、特定の水源から採水された地下水を濾過、沈澱、加熱いずれかの殺菌を施したもので「ナチュラルウォーター」とし、2つめはナチュラルウォーターの中で自然の状態でミネラルが溶け込んだものを「ナチュラルミネラルウォーター」と呼んでいます。3つめに複数の地下水を混ぜるか、地下水に人工的にミネラル分を微調整、添付したものを「ミネラルウォーター」と呼び、上記三つに当てはまらず、食品衛生法に基づく殺菌処理がなされた水を「ボトルウォーター」と呼んでいます。
 ミネラルウォーターは、血液をサラサラにし脳梗塞や心筋梗塞の予防したり、高脂血症・高血圧・便秘・むくみ・アトピーなどの改善をするという効能があるため、お店で購入してでも健康のために毎日摂取してほしい水分です。特に女性には、美容のためにお勧めしたいものです。




   「水に関する575標語」


琴音翼さん

『あ』ありがとう 飲料水に 感謝する
『か』買う時代 水も心も ぬくもりも
『さ』酒よりも おいしい水に 酔いしれる
『た』たくさんの 命を救う 水がある
『な』なくなって 気づいた水の ありがたさ
『は』果てしなく 湧き出る水に 笑顔咲く
『ま』待ったなし 要らぬ蛇口は すぐ閉める
『や』やめましょう お金と水の 無駄遣い
『ら』来年の ことより明日の 水のこと
『わ』わたしたち きれいな水に 生かされる

『い』一杯の 水で始まる 朝の良さ
『ろ』論よりも 証拠おいしい 山の水
『は』晴れた空 水が育てる 人と街
『に』人情も 水も命は 透明度
『ほ』ホッとする 蛇口ひねれば 飲める水
『へ』変化する時代に 変化しない水
『と』永久の愛 蛇口ひねれば 永久の水




   「百年の大計の下水道」


翔のんまなさん

 道路や河川、ダムやトンネルといった公共事業で、いささか軽視されがちな下水道の大切さを素人ながら知る一人です。
 命の水といわれ、快適な文化生活を営むためにも、何といっても上水道の整備は欠かせないし、水に恵まれる今の私たちは幸せだと実感しています。
 天からのもらい水などといわれたものですが、決してそうではなく、おいしい水の供給に実に多くの人たちが係わっておられることも少し学びました。
 また私は、近代生活のバロメーターともいわれ、その整備が急ピッチで進められた下水道の意義を強く認識しています。
 くみ取りの便所から水洗トイレに変え、汚水を下水道に流して処理する下水道事業が私の住む県で高い普及率と聞かされて本当に喜んでいます。
 大都市につながる高速道路や鉄道は遅れ気味といわれるが、下水道の進捗がめざましいのは大いなる誇りです。
 一昔前ですが、当時の知事さんとお話をする機会があり、「住民の声を聞いて回ると女生徒からくみ取りのままでは友達を家に呼べません、早く水洗式に!」と少なからず陳情を受けたと聞きました。
 欧州視察の折、街はもちろん寒村まで水洗トイレだったのに感銘を受け、し尿等も肥料にせず、下水道で生活環境を一新したいと旗振りし、徐々に理解が得られたとか。
 便所のし尿処理に苦労し、やがては糞詰まりになる心配が大きかったと述懐されたが、大規模な浄化センター(終末処理場)を整備し県の流域下水道と市町村の公共下水道が一気に進んだと教わりました。
 大都市で下水道がなお課題といわれる今、田舎でも水洗トイレが完備するまちに住んでいてよかったとつくづく思います。
 女生徒の一声が知事を動かしたドキュメントは私の耳に心地よく残っています。




   「蛇口をひねれば水が出ること」


白くまさん

若いころ、海外旅行でいろんな国をまわった。どの国も、生水は、下痢を起こすから口にしないのが、鉄則だった。海外で、喉が乾いたとき、ミネラルウォーターを買ったが、ジュースやビールより値段が高い国も多く、驚いたものだ。今、この国で、蛇口をひねれば、水がでること・・・これは、当たり前ではないのだ。しかも、煮沸消毒しなくてよい、そのまま水を口にできるこの国は、よその国からみれば、奇跡だ。水が豊かと言われるこの国だって、水は、いつまでも涸れることない、永遠ではないことを、とっくの昔に気がついている。排水が公害を引き起こした過去だってある。現在は、生活排水が下水道を流れ、循環しているシステムが確立し、企業も家庭も、排水の中に有害物質を流さない努力をしている。これらは、この国の、過去の経験の学びから、人の意識の中に根付いたのだと信じたい。そして、パイプラインが遮断された時、初めて有難みを感じるのではなく、日々の暮らしの中で、常に有難みを持ち続け、水を無駄にしない、排水に気をつけるなど、一人ひとりが出来ることを続けることが大切だと思っている。




   「故郷発『『水』』」


三郎さん

「何だ、これは!」
段ボール箱の蓋を開けた途端、目に飛び込んできた鮮やかな黄金色、溢れ出る甘酸っぱい香り――故郷の兄から届いた宅急便の一箱は天然水のペットボトル、もう一箱には夏蜜柑がびっしり詰まっていた。
東日本大震災直後、水道水の放射能汚染が発表された途端、スーパーやコンビニの棚から姿を消した『水』。
「孫には安全な水を飲ませたいんだ」と、兄に助けを求めたのだった。

 定年退職後故郷に帰った兄は、山麓の畑に何種類もの果樹の苗を植えた。桃、栗、無花果、葡萄……それらが一人では食べ切れないほど実るようになっても、残りは鳥の餌になるばかりで送られてきたためしはなかった。
独り身のせいもあるのだろうが、大病を患ってからすっかり偏屈になって近寄りがたくなった兄。
「孫を見せに来い。果物狩りをさせてやる」と誘われても、帰る気になれなかった故郷。麦わら帽子の下の兄の寂しげな顔を思い出すときもないわけではなかったが……。

 夜、早速兄にお礼の電話を掛ける。
「ちと酸っぱかったろう」
兄が植えた夏蜜柑が今年は豊作だという。
「ジュースにしたら、美味かったよ」
電話の隣で孫が「アチャチャチャバ―」とその黄金色の果実を転がしている。
「それは良かった。――水が足りなくなったらいつでも送るぞ」
 ――水道が街や村の命をつなぐ動脈であるなら、今、私と兄の心臓もその水でつながっている、ふとそんな気がした長電話だった。




   「美味しい水道水を飲みたい!」


八十日目

自販機でお茶を買うなんて考えもしなかった。ましてや、水を買うなんて。
私の小さい頃は、飲み水は水道水であった。
昔は川や池で、素っ裸になってよく泳いだものだ。多少、水を飲んでも病気などには罹らなかった。(現在ほど汚染されていなかったのだろう)

実家は、田舎ではないが、家の隣に井戸があって、手漕ぎのポンプがあった。
夏は、大きな甕(かめ)に冷たい井戸水を張り、スイカや瓜、トマトなどを冷やして食べたものだ。冬は暖かいので、掃除などの水仕事によく使った。この井戸水は少し臭くて、飲用は出来なかったが、当時は大いに重宝した。
水道水は地方によって味が違うが、私の故郷、名古屋の水は美味しかった。
多分「木曽川」の水だったと思う。蛇口を捻れば喉を潤すことができる幸せ。

少し前までは、多くの川が生活排水などの垂れ流しで、魚も住めないような水であったが、徐々に下水道が完備されて、今では、殆どの川の水が驚くほど綺麗になった。花が咲き乱れ、虫や魚や水鳥が集う、心が休まる川が増えてきた。
川の水が綺麗になれば、人の心も美しくなると思う。
お陰様で、デジカメで水鳥を撮影する趣味も出来て、綺麗な川に感謝している。

誰もが、水道水で喉を潤すことができる、安全で美味しい水を欲している。
そのためには、下水道の役割が重要になってくる。
下水道は、地味な目立たない仕事をしているが、川や海の環境維持、そして私たちの生活向上には無くてはならないものである。
下水道の役割を人々に理解を深めてもらうと共に、下水道のたゆまない努力と今後の益々の発展に蔭ながら応援したいと思う。




   「快適な場所」


こけこっこ

想像できますか? 
水洗トイレのタンクが空になる事を そして流れて行かなくなることを

私が物心ついた45年ほど前 最も嫌いな場所は便所でした
それは 水洗便所が完備された寮で生活を始めることになった18歳まで続きました
子供の頃 毎月一回 台所の土間にホースが横たわります
汲取り式の便所からし尿を抜き取る為です
この光景は 衛生とか不衛生とか そんな知識のない子供心に 嫌いなものとして脳裏に深く刷り込まれました
同時に 汲取り式の便所は 妖怪の棲家のように感じていたのです
桶と柄杓と天秤棒で担ぎ出していた時代から
私が18歳になるまでこの感情は続きました
想像できないでしょう? 水洗式のトイレを当たり前のように使っている今日
下水道が機能しなくなる事もあるということを

私は50歳になりました トイレは清潔になり 匂いもなくなりました 快適な空間です
子供の頃の妖怪はもういません でも・・・
想像してみませんか 現実になる前に
下水道が機能しなくなり 汚水が溢れ そして蛇口から水が出なくなる日が来る事を
大切なものが何かを もう一度考えてみようと思いませんか?




   「健全な下水道なくして健全な市民生活なし」


政治評論家 森田 実さん 政治評論家 森田 実さん

 東京都下水道局の資料によると、下水道事業費(平成18年1200億円)の49%が「再構築」費である。言い換えれば老朽化対策である。つぎが18%の「流水対策」だ。「再構築」の比重が突出して高い。

 この原因は、多くの管きょや設備に耐用期限が到来していることにある。
 下水道事業の歴史を振り返ると、下水道整備には三つのヤマがあった。第一は昭和初期(昭和元年〜11年)、第二は高度成長前期、第三は高度成長後期であった。
 第一のヤマの昭和初年から昭和30年にいたる約2000q(全体の13%)が耐用年数を超えてしまっている。この第一のヤマの設備更新はいま進行中だが、都心部における再構築の進捗率はいまだ11.5%に止まっている。これを完了するには20〜30年は要するだろう。
 ところが、この老朽化対策が完了しないうちに、高度成長初期の管きょと設備が耐用年数を終える。連続して「再構築」の努力を続けなければならない。こうした状況は全国各地、ほとんど同じである。

 何事も「備えあれば憂いなし」。大事故が起これば市民生活は甚大な被害を被る。その上、復旧に巨額の費用がかかる。事故が起こる前に「再構築」を実行するのが最も賢明なやり方である。費用も安く済む。
 健全な市民生活は健全な下水道の上に築かれる。健全な下水道は絶えざる「再構築」の努力によって保たれる。下水道整備をおろそかにすれば悔いを千載に残すことになろう。国も地方自治体も、そして全国民が下水道事業の大切さを強く認識しなければならない。




   「第二の田村元先生の登場を期待する
――田村元氏は下水道事業の最高の理解者だった」

政治評論家 森田 実さん 政治評論家 森田 実さん

 健全な下水道なくして健全な市民生活はない。全国の住民の健康は健全な下水道によって維持されている。公衆衛生は整備された下水道なしには成り立たない。下水道は現代社会の最も重要なライフラインである。下水道の整備は下水道産業の発展と不可分である。

 世界最高水準にあるわが国の下水道技術は下水道事業者の努力によってつくられた。
 ところが、最近、世界最高水準の技術力を誇るわが国の下水道事業は危機的状況にある。原因は、政治と行政とくに財務・法務関係当局の下水道に対する無理解にある。
 昭和40年代初期にも、下水道事業が財務当局の無理解のために停滞したことがあった。この時、下水道事業促進のために立ち上がった政治家がいた。田村元衆議院議員だった。

 『日本下水道史(総集編)』(日本下水道協会刊)は述べている(p.331)。「(下水道整備5カ年計画が計画どおり進まなかった)状況のなかで、自由民主党は…政務調査会のなかに下水道小委員会を発足させた。初代の小委員長には政界で下水道事業の理解者として孤軍奮闘の田村元代議士が就任した」。
 田村元氏は衆議院議長を務めたほどの大物政治家。同氏は下水道事業のために献身的に努力した。いささかも名利を求めることなく、政官界の下水道への無理解を正された。
 今の日本に必要な政治家は、田村元氏のように高い志をもち、国民の安全と健全な市民生活のため、ライフラインの下水道整備のために献身して働く政治家である。政界は、「第二、第三の田村元先生が出てほしい」の下水道事業者の声なき声を聞くべきである。




   「政府は下水道軽視を改めよ」

政治評論家 森田 実さん 政治評論家 森田 実さん

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(孔子)

 9月には内閣が変わる。新内閣ができれば従来の政策の見直し、再検討が行われる。小泉政治の行き過ぎの是正が始まる。
 小泉首相らは小泉政治の継承者を次の首相に据えて、小泉政治の継続・発展をはかろうとしているが、誰がなっても小泉政治の見直しは避けられない。見直しを拒否するような首相のもとで政局の安定はないからだ。
 小泉政治は極端に走った。行き過ぎの政治だった。行き過ぎの政治は社会を混乱させる。極端は極端を生み、行き過ぎは行き過ぎを生む。そして混乱は混乱をつくり出す。内閣の交代を、この悪循環を絶つチャンスにしなければならない。
 見直すべき政策のなかには、アジア政策(中国・韓国との関係)、対米政策(極端な対米従属の是正)などの外交政策とともに、経済政策がある。小泉内閣の経済政策は極端すぎてバランスを欠いた。これを見直して、是正し、経済政策のバランスを回復しなければならない。
 経済政策の見直しのなかで、行き過ぎた公共事業抑制政策の是正は、最も緊急な課題である。同時に、苛酷すぎる独禁法の見直しと公正取引委員会の厳しすぎる運用は、再検討されなければならない。下水道産業は日本が世界に誇るべき産業だ。いまの極端で冷酷な小泉政権と公正取引委員会のやり方を改めなければ、下水道産業の未来はない。下水道を守るため、業界全体が結束すべきである。下水道は日本の宝なのである。




「健全な下水道なくして健全な都市生活なし」

政治評論家 森田 実さん 政治評論家 森田 実さん

「見えないところで私のことを良く言ってくれる人は、私の友人である」(トーマス・フラー、17世紀の英国の聖職者)

 下水道は、見えない地下から健全な都市の社会生活を支えている、都市の最も頼りになる「真の友」である。
 「友情は愛されるより愛することに存する」と言ったのは古代ギリシアの哲学者アリストテレスである。下水道が都市生活の真の友だとすると、都市生活者は下水道をもっともっと愛して、大切にしなければならない。  では、われわれ都市生活者は、安全にして健全な都市生活を支えている下水道を大切にし、下水道に絶えず目を配っているだろうか。
 答えは「否」である。残念なことだが、多くの都市生活者は下水道と下水道を整備するために努力してきた人々、現に努力している人々への感謝を忘れているのではないか。心すべきことである。一般国民が下水道に無関心になれば、政府・自治体の施策においても後回しにされる。これは都市にとって大変危険なことだ。
 現在日本の下水道は昭和40(1965)年から約25年間にわたって敷設されたものだ。下水道にも寿命がある。平均寿命は約30年。すでに平均寿命を越えた下水道施設も少なくない。万が一大災害が起きたとき、耐えられなくなっている施設も少なくないのである。
 備えあれば憂いなしである。転ばぬ先の杖である。老朽化した下水道施設の整備に直ちに取りかかるべきだ。安全対策は、災害が起こる前に先手をとって行わねばならぬ。





「水の五七五」


八十日目さん

「春」 
水温み メダカの学校 始業式

「夏」 
水しぶき 上げてはしゃぐ子 はしゃぐ孫

「秋」 
秋深し 水面に錦 映えわたり

「冬」 
天からの 便りに街は そわそわと

「回帰」
流す水 やがて蛇口に 戻る水

「潔癖」
気に食わぬ 水に流すと 言う言葉

「寛容」
ありがたい 水に流すと 言う言葉

「安堵」
備蓄する ペットボトルの 三ケース

「容姿」
液体が 気体固体に 変身し

「旅路」
山や川 海でも水は 旅の宿

「清潔」
白い雪 溶けて流れて 青き水

「節水」
残り湯を 洗濯お花が お待ちかね

「知恵」
先人の 知恵が田毎の 水に住み

「美味」
酔い覚めの 水を味わう 贅沢さ

「農園」
一滴も 逃さず雨水 溜める桶

「行事」
お水取り 済んで草木も 目を覚まし

「環境」
森林は 濾過と貯水の 浄水池

「感謝」
下水道 あるから暮らし 快適に





「下水道の日」いきいき下水道フェスティバルに参加して


岐部 賢治さん

台風14号が、日本海を通り抜け、北海道に到達して東北地方から北海道の広いエリアが、暴風雨にさらされました。この日、平成17年9月7日(水)は、平成17年度「下水道の日」いきいき下水道フェスティバルが有楽町の東京国際フォーラムで開催されました。午後から開催されたフェスティバルでの第2部は、江戸屋子猫師匠とアグネス・チャンさんの司会で、国交省下水道部の藤木流域管理官と東京都下水道局の中村計画調整部長を迎えフォーラムが開催されました。

話題は、旬な話題と言うか、やはりというか、下水道の役割の中でも防災に密着した部分として、雨水排除について多く語られました。実際、最近は洪水などの災害が異常な増加をしています。そして、ライフラインが寸断された場合の生活に及ぼす影響を私たちは、真剣に考え準備しなければならないのです。
蛇口をひねればきれいな水が出て、レバーを押せばトイレもあっという間にきれいになる。こんな便利な生活を享受できるのは、下水道があるから。
万一この下水道が破壊されて、汚水が溢れ出したらニューオーリンズのようになるのでしょうか? 自分の町でこんなことが起こる事を想像すると恐怖を覚えます。

最近10年間でのライフラインに甚大な被害を与えた災害はどのようなものがあったのでしょうか? 調べてみました。平成7年1月17日には早朝に阪神・淡路大震災が発生。ビルの倒壊、ライフラインの破壊により数ヶ月間にわたり、都市機能は完全に奪われました。平成11年の福岡水害や、平成12年の東海豪雨による名古屋の水害。一瞬にして都市機能が喪失しました。家屋を失うなどを現実に体験した方々にとっては、生涯忘れる事が出来ないくらいの辛く、悔しい思いであったと思います。
海外の出来事ですが、平成12年には中国南部で6月〜9月に、ドイツ・チェコで8月に、南米・アフリカでも、豪雨・洪水の災害が多発しています。
昨年は、7月17日、18日の豪雨で福井市周辺が浸水し、10月23日には新潟中越大震災が発生しています。数え上げるときりが無いくらいです。

下水道のある暮らし。当然のように、毎日清潔な生活を送る事が出来ます。
しかし、ひとたび下水道が破壊されると発生する被害は、極めて大きく深刻になる事が最近の事例を見て実感し始めているところです。独立行政法人 土木研究所の発行した「洪水等の水災害の現状と今後の見通し」には最近の洪水増加の傾向が詳細に調査され、記載されています。下水道の有り難さを痛感し、感謝するとともに今後の整備に期待をします。そして、より多くの人々が近代的で清潔な生活を送れるようになればと、改めて考えさせられた9月7日でした。




「水は廻る」


札幌市 白野 幸子さん

 なんとなく眠れない夏の真夜中、近くの川原に涼みに行こうと思い立った。札幌では数えるほどの、生ぬるい重い空気が闇を占領している夜だったのだ。飲んでいたエビアンを片手にぶら下げてサンダルをつっかけると、そっとドアをあけてぶらぶら歩き始めた。
 ほどなく公園を抜けたところにある土手についた。サンダルに後悔しつつ、弾みをつけると急な斜面をえいやっと乗り越えた。すると、子供の頃遊んだままの川原がオレンジの外灯に照らされて目の前に広がっていた。初めて川底の苔を集めて遊んだ時の、するどい冷たさやハッとする流れの速さが感覚としてよみがえってきた。あの時、近所の小川に隠れる意外な力強さにおどろいたのだ。
 懐かしさに包まれながら川辺にうまった平らな石に腰をかけ、本流からはじき出されて岸にゆらゆらとただよってきた気まぐれな流れをひとすくい手のひらに転がしてみた。ひんやりした水が指の隙間からつつっと肘の方にこぼれてゆく。
 水は廻る、ふと脳裏に浮かんだ。川や海の水が蒸発して雲となり、そして雨となって野山に降りそそぐ。その水は山からしみ出し、今度は飲まれ使われて自然へと還ってゆく。では、このひとすくいには昔々遠く古代の人の手も触れたのではないだろうか。そのあと幾度も雲となり、北へ流れて雨となって降りそそぎ、この川に流れ着いたのかもしれない。突然、目の前の川が存在感を増した。
 エビアンを一口飲むと、すでに川原の涼気で身体の火照りが収まっていることに気付いた。不思議な満足感に包まれて家に帰ると、その夜はぐっすりと眠りについたのだった。
 ある夏の思い出である。まだ肌寒いが微かに温みを感じる春の宵、夏になったらまたあの川原にいってみようと思いながら、すこし冷えた手でそっと窓を閉じた。




「水道の有難さ」


鴻巣市 あかりさん

聖書の中には水に関係する記事がいくつもある。創世記という箇所には井戸にまつわる出来事が載っている。
 イサクという実直な人が出てくる。彼の父アブラハムが掘った井戸は、イサクをねたんだ人たちに土でふさがれてしまう。とんでもないことである。
 そこで彼はその場所を去り、別の井戸を掘った。しかし、今度は「この水はわれわれのものだ」と争ってくる者がおり、また他の井戸を掘ることになった。
 その井戸についてはどうやら問題が起きずに済んでよかった。井戸を掘る際に、いろいろゴタゴタすることがあったが神様がイサクを守ってくださった。最終的には祝福されたのだ。
 …とはいうものの、とても古い時代のことだし、幾つも井戸を掘る作業は今よりずっと大変だったに違いない。今の人間にとってもそうだが、昔の人間にとっても当然水は、生きていくのに、なくてはならないものだった。いや、むしろ今よりもっと貴重なものだったであろう。
 あの時代に水道が整っていたら、このような争いは起きなかったであろうに――。
 現代の日本に生きる私たちは、井戸を掘るといったわずらわしさから解放されている。また、そういった大変さだけでなく、日常的に井戸から水を汲み出すという労働からも免れている。蛇口をひねるだけで清潔な水を手軽に使うことができるのだ。おいしい水を安心して自由に…。
 本当に有難いことである。
 だが、便利に使えるようになった今の時代の水も有限なのだ。大切に使いたいと思う。




「水の不思議」


川口市 アイウエオさん

水の不思議 I
“いろ”は  みず色 そら色 透明

水の不思議 II
“ちから”は 浮かせます 流します 穴をあけます

水の不思議 III
“さま”は  氷 水 蒸気

水の不思議 IV
“かたち”は 雪 雨 雲

水の不思議 V
“ひかり”は 朝日をうつします 空をうつします 景色をうつします

水の不思議 VI
“栄養”は  草木を育てます 人を育てます いきものに活力を与えます

水の不思議 VII
“ほかに”  凍らせます 溶かします 和ませます




「海、河川の青」


小林 健さん

 河川や海の色はなじみ深く、多くの人に好まれる色です。

 水色、アクア、シーグリーン等、河川や海を連想する色の名前もたくさん存在し、主に青から青緑を表す色名として、古くから人々に親しまれてきました。

 鮮やかに見えた水を汲んでみて、実際には色がついていなかったという経験はおありでしょうか?

 この理由についての決定的な解答は今だないのだそうですが、一般には、太陽光が水中に入射したときの光の散乱の性質によってのものだと言われています。

 白色光と言われる太陽光線は、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、の7色に分解できます。

 このうち青の光は海水に対する透過率が最も高くて、深いところまで光が届くのだそうです。この青の光が、水の分子や海水中の物質などにぶつかって、光の吸収と散乱をくり返し、再び水面に出てきたときの組成によって、私たちの目に映る海の色が決まります。

 ですから、海水中の物質により同じ海、河川でもその色は異なってきます。一般には外洋では、浮遊物などが少ないため、海の色は藍青色であり、沿岸にいくにしたがい青色から緑色へと変化するそうです。これは、短波長の光を吸収する植物プランクトンが関与しているためと言われています。土砂などを多く含む場合は茶色く濁って見えます。

 また、季節によっても色の見え方が異なります。夏は明るい太陽の光を十分に吸収反射してきれいな明るい青ですが、低い雪雲に覆われがちな冬の海は暗く黒い色です。

 いろいろな様子を見せてくれる海、河川の色ですが、私はやはり、澄んだ水の青が一番好きです。美しい、海や河川の青を守っていきたいですね。




「水」  タマちゃんはどこへ?


岐部 賢治さん

 豊な自然を取り戻した証でしょうか、多摩川にアザラシのタマちゃんが現れ、しばし人々の心に優しさと潤いを与えてくれました。  そして、タマちゃんはどこへ行ったのでしょうか。

 タマちゃんは、東京湾の水が嫌いになったから姿を消したのではないと確信をもっています。  それほど最近の東京湾と多摩川は、きれいな水と豊な自然環境を取り戻したと感じさせられます。

 国内の水質汚染は、古くは明治16年栃木県の渡良瀬川流域で甚大な被害を引起した、足尾銅山鉱毒事件に始まるといわれています。   昭和30年には神通川イタイイタイ病、翌年には水俣病と次々に水質汚染による公害が発生しました。

 企業の利益優先体質と、それを容認してきた社会システムへの反省からでしょうか、昭和33年の下水道法公布、昭和42年の公害対策基本法公布施行、水質汚濁防止法が制定公布された昭和45年には、臨時国会(いわゆる)「公害国会」で、国の公害対策基本姿勢が明確になり、地方自治体の権限が強化され、積極的に水と自然を守る為の取り組みが始まりました。  第三次下水道整備5ヵ年計画が策定されたのもこの年です。

 水処理技術においては、有機汚濁成分を活性汚泥法によって分解する技術が確立したのは、明治43年頃といわれています。  人口の集中化と産業の活性化が自然の浄化機能を上回ったため、積極的に有機汚濁成分を分解する必要性が生じ、テクノロジーがこれを可能にする時代が訪れたと言えるでしょう。

 有機物が少量(自然の分解能力の範囲内)水中に含まれている場合は、水生生物の繁栄に寄与します。 しかし、自然の分解能力を上回る有機汚濁成分が流入した場合、川や湖・池などの水底に沈殿して、水棲菌の繁殖源となり、みずわた∞ノロ≠ニいう藻のようなものとして繁殖し、これが魚類の餌となる底生生物を死滅させるのです。

 さらには、魚類のエラに付着して呼吸を妨げ死に至らしめるわけです。 昭和50年代前半頃までは、国内のかなりの河川でこのような状況で、釣りなどとても出来ませんでした。

 今日、国内(特に大都市部周辺)の状況は、かなり改善されたように見受けられます。

 東京湾にハゼ・ボラ・等の魚類、更にこれらを捕食する水鳥等が戻ってきました。   アザラシのタマちゃん≠ェ多摩川を数キロメートル入り込み一時期住み着いたことは、環境が改善され、餌となる魚が豊富にいる事を裏付けたと言えます。

 下水道終末処理場の都市部における普及率が100%に近づき、小規模終末処理場の整備が進んでいる現在、日本国内では失われかけた自然が回復しつつあり、完全に回復する日が来るのは遠いことではないように感じられます。




「守る 水」


星粒さん

羊水のなかで泳いでいるこどもたちの
ちいさなこきゅうおんがきこえる
世界のどこかで
たたかいのやまない町の
ひるまの埃がしずかにおさまると
路地のどこかで
うずくまるひとの
おなかのなかの
羊水のなかで泳いでいるこどもたちの
かすかなこきゅうおんがきこえる

まよなか
あめの水滴がほろほろと
窓ガラスに貼り付く
しめやかなあたたかさにつつまれ
わたしはようすいのなかをおもいだす
(知らないのに 知っているようで)

飲み水さえ確保するのがやっとの
すなの大地にも
しずかによこたわるひとのおなかの
羊水のなかで泳いでいるこどもたちは
ゆったりと夢をみるように
この世界へながれはじめようと
時期をみはからっている

羊水のなかはとてもおだやかで
このままその水面に
ねむりながらめざめながら
くらせないものかしら

わたしは祈りにちかい気持ちで
目をとじてみる
たたかいのやまない土地で
いま羊水のゆるやかなうちゅうに
つつまれているこどもたち
そのやわらかな感触を
うしなわないですむように

あめがふりつづいている
夜は
しずかな羊水で満たされ
わたしたちのさいぼうを
すみずみまでなめらかにうるおす

そんなとき
わたしたちの命は
魚のように
みずみずしく生きている
明日をしれない命が
しずかな夜の
水のなかに まもられている




「ミネラルウォーター」


高橋博文さん

 ミネラルウォーターがこれほどまでに普及してきた昨今、日本産と外国産のミネラルウォーターを飲み比べてみた方も多いのではないでしょうか。飲み比べるとわかるのですが、私には、日本産に比べ外国産はどこか飲みづらい感じがします。これは軟水と硬水の違いがそう感じさせるようです。軟水か硬水かを決めるのは「硬度」です。一般的には硬度100未満のものを軟水、それ以上を硬水と呼んでいます。

 日本の水は沖縄などの一部の地域では硬水のところもありますが、ほとんどの日本の水は軟水のようです。軟水で生活を営んできた日本人は軟水を活かした文化を育んできました。日本料理にその文化が伝わっております。軟水は炊飯や煮物などの日本料理全般に、緑茶を入れたりするときに適しています。反対に硬水で炊飯するとご飯がパサパサになったり、煮物の野菜が硬くなったり、緑茶の味や香りが十分に引き出せなかったりします。

 一方、硬水はワイン作りに最適のようで、欧米のワイン文化を育んできました。「水」はこのようにその地方の文化や生活に大きな影響を与えています。

 外国産のミネラルウォーターに多い硬水はカルシウムやマグネシウムが多く含まれ、日頃不足しがちなミネラル分を補給するのに役に立ちます。妊産婦のためのカルシウム補給、便秘の解消やダイエットにも役立つようです。

 今は日本でも手軽に硬水を飲むことが出来る時代になりました。飲んで「おいしい水」の軟水、飲んで「身体にいい水」の硬水それぞれ飲み分けをしたらよいようです。

 硬度はミネラルウォーターのボトルに記載されていますが、ご参考までに市販されているミネラルウォーターを硬度により分類してみました。

軟水(硬度100以下) 六甲のおいしい水、南アルプスの天然水、ヴォルビック
中硬水(硬度100〜300) 高千穂、バルヴェール、エビアン
硬水(硬度300以上) ヴィッテル、ペリエ、コントレックス